デフォルメ

家に甥っ子が来ていて、話したことを書いてみます。
デフォルメについて、の話です。

デフォルメ、というのは自分にとっては『嘘』ですね。
漫画やアニメなどは、その嘘を楽しむものだ、と私は考えています。
ところが、そのデフォルメは、いびつな方向に進化してるのかもしれません。

ふつう、デフォルメというものは現実を変化させるものなのですけど、私はすでに漫画やアニメなど、デフォルメされたものを吸収して育っているのです。
つまり、デフォルメされた後の嘘を基盤にしている。

そして、そのデフォルメをさらにデフォルメして、漫画を描いたりするわけです。
どうもこれが、いびつな気がしてならない。

甥っ子の世代は、さらにさらにそれをデフォルメして…という風に、表現が現実からどんどん遠くなっているのではないか。
そのような心配があります。

コピー機で原稿を複写しても、完全に元の原稿そのままにはなりませんね。
その複写されたものをコピー機にかけて、ということを繰り返すと、どんどん元の原稿から離れたものになってゆく。
デフォルメという表現についても、同じことが言えるんじゃないかと思うわけです。

それの何が問題かというと、多重デフォルメ化が進むと、現実に生きる割合より、フィクションに生きる割合が増えるんじゃないか、と私は考えているわけです。
目の前にある現実と向き合わずに、観念化されたフィクションと向き合って生きやすくなる…のではないか、と推測しているのですけど。
実際はどうなんでしょう。